当山は天台宗の寺院で金龍山 釈満院 円頓宝戒寺(きんりゅうざん しゃくまんいん えんどんほうかいじ)と号す。
開基は後醍醐(ごだいご)天皇(1288~1339)開山は天台座主 五代 国師円観恵鎮慈威和上(てんだいざす ごだい こくしえんかんえちんじいかしょう)(注1)で建武(2年)年間創建された。
当寺は北条義時(よしとき)が小町邸を造って以来北条執権の屋敷となり、元弘(げんこう)3年(1333)5月22日北条九代滅亡後その霊を慰めるため、又、国宝的人材を養成修行せしめる道場として後醍醐(ごだいご)天皇が足利尊氏公に命じこの屋敷跡に建立させた寺である。
開山の慈威和上(じいかしょう)は当山を円頓大戒(えんどんたいかい)(注2)と天台密教(台密(たいみつ))の大法関東弘通(だいほうかんとうぐつう)の道場として戒壇院(かいだんいん)を置き、加賀白山(かがはくさん)の薬師寺、伊豫(いよ)の等妙寺(とうみょうじ)、筑紫(つくし)の鎮弘寺(ちんこうじ)と共に遠国四箇(おんごくよんこ)の戒場といわれた。
また二世普川国師惟賢和上(ふせんこくしゆいけんかしょう)は国家鎮護のため和合仏(わごうぶつ)たる歓喜天尊像(かんぎてんそんぞう)(聖天様(しょうでんさま))を造立し特殊なる修法を定めてひたすら鎮護国家を祈念したのである。天文(てんぶん)7年(1538)七堂伽藍(しちどうがらん)ことごとく焼失した。江戸時代に入って天海大僧正(てんかいだいそうじょう)は宝戒寺は関東における天台律宗(てんだいりっしゅう)の本寺である故、寺の維持相続の保護を徳川家康公に懇願している。
注
1)五人の帝の戒護師(かいごし)となられたので五代国師(ごだいこくし)を朝廷より賜る。1281~1356
2)金剛宝戒(こんごうほうかい)ともいい、梵綱菩薩戒経所説(ぼんもうぼさつかいきょうしょせつ)の十重四十八軽戒(じゅうじゅうしじゅうはちきょうかい)を戒相(かいそう)とする大乗戒(だいじょうかい)
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